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広島地方裁判所 昭和62年(ワ)813号 判決

②事件

原告

今井末人

今井兆静

今井照雄

今井隆英

水町富士夫

右五名訴訟代理人弁護士

小笠豊

寺垣玲

被告

医療法人あかね会

右代表者理事

土谷太郎

右訴訟代理人弁護士

秋山光明

新谷昭治

大元孝次

主文

一  被告は、原告今井末人に対し、金九四七万四四四五円及びこれに対する昭和六一年六月二七日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告は、原告今井兆静、同今井照雄、同今井隆英及び同水町富士夫に対し、それぞれ金二一一万八六一一円及びこれに対する昭和六一年六月二七日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

三  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

四  訴訟費用はこれを二分し、その一を被告の負担とし、その余を原告らの負担とする。

五  この判決は、一項及び二項に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一  請求

一  被告は、原告今井末人に対し、金一五五〇万円及びこれに対する昭和六一年六月二七日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告は、原告今井兆静、同今井照雄、同今井隆英及び同水町富士夫に対し、それぞれ金三六二万五〇〇〇円及びこれに対する昭和六一年六月二七日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

本件は、今井スミエ(以下「スミエ」という。)が、昭和六一年六月五日、被告が経営する医療法人あかね会土谷病院(以下「被告病院」という。)において、大動脈弁置換術の手術(以下「本件手術」という。)を受けたが、手術後一度も意識を回復しないまま、同月二七日に死亡したことについて、スミエの遺族である原告らが、被告に医療契約上の債務不履行責任又は不法行為責任(使用者責任)があるとして損害賠償を請求している事案である。

一  争いのない事実

1  スミエは、大正一五年二月二八日生まれの女性である。スミエの相続人は、夫である原告今井末人と、子供である原告今井兆静、同今井照雄、同今井隆英及び同水町富士夫の合計五人である。

2  スミエは、持病の心臓弁膜症が次第に悪化していったために、昭和六一年四月一六日、安佐市民病院に入院して治療を受けたが、同病院において、大動脈弁狭窄症兼閉鎖不全症及び僧帽弁不全症で弁置換術の必要があると診断され、手術を受ける目的で、被告病院を紹介された。

3  その結果、スミエは、同年五月二八日、被告病院に入院し、主治医となった望月高明(以下「望月」という。)医師から、大動脈弁及び僧帽弁置換術という手術を行う必要がある旨告げられ、夫とも相談した上、本件手術を受けることにした。

4  本件手術は、同年六月五日に施行された。

スミエは、同日午前九時ころ、手術室に搬入され、九時四六分ころ、望月医師が、執刀を開始し、一七時三〇分ころ、スミエは手術室から搬出されたが、スミエは、本件手術中に発生した空気栓塞に起因する脳血行障害によって脳機能障害を起こし、本件手術終了後、一度も意識を回復することのないまま、同月二七日、死亡した。

(本件手術中に空気栓塞が発生し、スミエの脳機能障害がその空気栓塞によるものであることについて、被告は自白の撤回をしたが、原告らはその撤回に異議がある。)

二  争点

原告らは、被告が使用する望月医師は、①スミエが本件手術について手術適応がないにもかかわらず本件手術をした、②スミエに対し本件手術の危険性について事前に十分な説明をしなかった、③本件手術において十分な空気抜き操作をしなかったため空気栓塞を起こしたとして、被告に医療契約上の債務不履行責任又は不法行為責任(使用者責任)がある旨主張しているが、その当否が争点となる。

なお、前記の自白の撤回の可否及び原告等の被った損害額についても争点となる。

三  争点についての原告らの主張

1  責任原因

(一) 手術の不適応

スミエは、昭和三七年ころから心臓に異常があったにもかかわらず、内科的薬物療法によって本件手術時まで生存を続けてきたものであり、昭和六一年一月よりの心不全症状についても安佐市民病院の内科的薬物療法で軽快に向っていたものである。

したがって、そのまま手術をせず内科的薬物療法を続けておれば、さらに相当期間は生存を続けた可能性は高かったものであり、手術の適応はなかった。

(二) 説明義務違反

望月医師は、本件手術に先立って、空気栓塞により脳機能障害の生ずることがある可能性を説明しなかった。また、本件手術がそれ程危険なものではないなどと不十分な説明しかしなかった。正しい説明を受けていれば、スミエは本件手術を見合わせた。

(三) 空気抜き操作に関する過失

望月医師には以下の空気抜き操作における過失があり、それにより心臓から排出できなかった空気により空気栓塞を起こしたものである。

(1) ベントカニューレの抜去が早すぎた過失

望月医師は、ベントカニューレを抜去し、それによってできた開口部をケリー鉗子によって拡げ、同時に肺を加圧して、そこから肺静脈内に残存していた空気を圧出しようとしているが、これでは、ケリー鉗子を操作する際に空気が逆流混入する可能性があるし、そもそも、右開口部は低い位置にあることから、ここから肺静脈に残存している空気を圧出することは困難である。したがって、かなり大量の空気が左心室尖部に溜まることになるのであるから、それを完全に抜くために、ベントカニューレをより長い時間挿入したままにしておいて入念な吸引を行うべきであった。ところが、望月医師は、ベントカニューレ抜去後の開口部からの空気抜きや、大動脈基部に設けた空気抜き口からの空気抜きの効果を過信し、ベントカニューレによる入念な吸引を怠った。

(2) 大動脈基部の空気抜き口の閉鎖が早すぎた過失

望月医師は、スミエの脈圧が出始めたのが一三時三五分ころであったにもかかわらず、遅くとも一三時三八分ころまでには大動脈基部に設けた空気抜き口を閉鎖している。

しかしながら、本件手術のように、左房を切開する場合、肺静脈に空気が逆流混入する可能性が高いのであるから、空気抜き操作も特に慎重に行われるべきであり、大動脈基部に設けた空気抜き口は、心拍動が十分回復するまで、脈圧が出てから三〇分程度は開けたままにしておいて、空気抜き操作を継続すべきであった。ところが、望月医師は、脈圧が出てからわずか三分足らずで右空気抜き口を閉鎖しており、空気抜き口の閉鎖が早すぎた。

(3) 空気抜き口閉鎖後に左房圧モニターラインを設置した過失

左房圧モニターラインを右肺静脈から刺入固定する際には、誤って空気が混入する可能性があるから、望月医師は、左房圧モニターラインを設置した後に、大動脈基部の空気抜き口を閉鎖すべきであったにもかかわらず、その閉鎖後に左房圧モニターラインを設置した。

2  損害(請求総額三〇〇〇万円)

(一)逸失利益 一〇八〇万円(原告らが法定相続分で相続)

スミエは、死亡当時六〇歳であり、就労可能年数は八年であるから、ホフマン係数は6.589となる。また、昭和五九年当時、六〇歳の女子の平均給与額は、年間二一三万一二〇〇円であった。これらを基準に、ベースアップ率が年五パーセント、生活費控除が三〇パーセントであるとして、スミエの逸失利益を算出すると、

213万1200円×1.05×1.05×6.589×(1−0.3)=1083万7281円となるが、そのうち一〇八〇万円を請求する。

(二) 慰謝料 一五〇〇万円(原告らが法定相続分で相続)

(三) 葬儀費用 一〇〇万円

原告今井末人が支出した。

(四) 弁護士費用 三二〇万円

右の内訳は、原告今井末人につき一六〇万円、その余の原告らにつき各四〇万円である。

四  争点についての被告の主張

1  責任原因

(一) 手術適応について

スミエの臨床経過、手術前症状及び検査結果等からは、内科的薬物療法では時間の経過とともにスミエの心不全症状が増悪すること、したがって本件手術の適応があったことは明白である。

(二) 術前説明について

望月医師は、本件手術の前日である昭和六一年六月四日、スミエ及びその夫である原告今井末人に対して、スミエの病名が大動脈弁狭窄兼閉鎖不全及び僧帽弁閉鎖不全であること、これら弁膜症は外科的療法の適応であり、内科的療法では心不全を繰り返すこと、手術は大動脈弁置換及び僧帽弁置換の基本方針であること、手術について、生命に直接関与する危険性が約一〇パーセントあることを説明するとともに、可能性のある合併症について、手術前説明事項に記載してある各項目を説明し、その際、空気栓塞に関しても脳神経障害の項目で説明した。

以上の説明に対し、スミエ及び原告今井末人は納得した上で、手術承諾書に署名したものである。

(三) 空気抜き操作について

(1) ベントカニューレの抜去の時期について

ベントカニューレの抜去の時期が早すぎたという原告の主張が理由のないことは、鑑定人小柳仁(東京女子医科大学附属日本心臓血圧研究所循環器外科主任教授)の鑑定の結果等から明白であり、これに関する望月医師の措置は適切である。

(2) 大動脈基部の空気抜き口の閉鎖時期について

原告は、手術記録〈書証番号略〉に記載された空気抜き操作と瞳孔散大についての記載や、麻酔医より瞳孔異常の報告ありと記載されていることから、大動脈基部の空気抜き口を一三時三五分ないしこれに近接した時に閉鎖したとして、大動脈基部の空気抜き口からの空気抜きを数分間しか行っていないと主張する。その主張は、手術記録は時間の経過に従って記載されていることが前提となるが、手術記録は、外科医が行う手技をまとめて書くものであって、時間を追って書くものではない。

そもそも、手術記録に記載された①頭位を下げた体位の維持、②空気抜き口拡大、大動脈基部の部分遮断、③左室ベントカニューレ抜去、左心房切開口完全閉鎖、④心拍動下に脈圧を出して左心系空気を除去、その際、心臓を揺すって、空気が移動しやすくなる操作を二〜三度繰り返した、⑤しばらく部分遮断のまま空気抜きを続けた結果、部分遮断解除、空気抜き口閉鎖を行ったという操作を五分間程度の短時間で行えるはずはない。

そして、手術記録によれば、脈圧が出たのが一三時三五分ころ(八〇/五〇mmHg)であり、大動脈基部の空気抜き口からの空気抜きは脈圧を利用して行うものであるから、一三時三五分ころから空気抜き操作を開始したものであり、また、そこから三〇分間くらいは続けているものである。

なお、空気抜き操作には、心臓が停止したままの状態で行う第一段階の空気抜き操作と、脈圧が出た段階で行う第二段階の空気抜き操作とがあり、前者が主たる重要な空気抜き操作であり、後者は最終的なものである。

そして、本件手術において、望月医師は、一三時ころから一三時三五分ころにかけて、以下の手順で、右第一段階の空気抜き操作を十分行っている。

① 大動脈基部空気抜き口設置

② 空気抜き体位(頭部低位、右側低位)確保

③左室と上行大動脈を圧迫して、大動脈基部の空気抜き口より空気を圧出した状態で大動脈遮断(クランプ)解除

④ 左房切開口よりベントカニューレの位置を左室に変更して、左室ベント続行

⑤ 設置した空気抜き口末端に大動脈部分遮断鉗子設置

⑥ 電気ショック(カウンターショック)にて心拍動再開

⑦ 左房切開口のベントカニューレ導出部に二―〇プロレンU字縫合設置、残りの左房切開創は二―〇プロレン連続縫合閉鎖

⑧ 復温と補助循環にて心拍動は良好

⑨ 右肺動脈からLAP刺入固定

⑩ 右心系から体外循環回路内への脱血量を減じ、左房へ還流する血液量を増加させる。同時に、左室ベントの吸引量を徐々に減じて左房及び左室を血液が充満する状態とした。

⑪ 左室ベントを中止し、ベントカニューレ抜去、抜去口(空気抜き口)にケリー鉗子先端を挿入し、空気抜き口が開いた状態として肺を加圧、肺静脈内に残存する可能性のある空気を圧出

⑫ ケリー鉗子先端を抜去し、心嚢内に血液が充満した状態で予め設置している二―〇プロレンU字縫合を結紮(左心房切開口の完全閉鎖)

⑬ 左房を上昇させて血圧(脈圧)を出して、左心系に残存している可能性のある空気を、大動脈基部の空気抜き口より除去、この際、体位変換下に心臓をゆすったりマッサージをして心腔内の空気が移動しやすい状態とした。

また、その後の第二段階の空気抜き操作についても、望月医師は、これを三〇分程度は続けている。仮に、第二段階の空気抜き操作が三〇分程度続けられた事実が証拠上認められないとしても、前記のとおり、空気抜き操作で重要なのは第一段階の空気抜き操作であって、望月医師がこれを十分に行っている以上、その後の第二段階の空気抜き操作は数分間行えば十分であるから、原告らの主張事実を前提としても、望月医師には、原告らの主張するような大動脈基部の空気抜き口の閉鎖が早すぎた過失は存在しない。

(3) 左房圧モニターラインの設置について

空気抜き操作の手順は前記のとおりであり、原告ら主張のように空気抜き口閉鎖後に左房圧モニターラインを設置した事実はない。

2  損害

原告らの主張する損害は不知。

第三  争点に対する判断

一  当事者間に争いのない事実及び証拠(〈書証番号略〉、証人二宮、同望月、原告今井末人)によると、以下の各事実を認めることができる。

1  スミエは、大正一五年二月二八日生まれの女性である。スミエは、昭和三七年ころ、健康診断で心雑音のため精密検査を勧められたが、自覚症状がないので放置していたところ、時折、動悸や息切れを感じるようになり、昭和五五、六年ころからは、時々、夜間就寝時に胸内苦悶感のために覚醒するようになった。スミエは、昭和五八、九年ころ、近医(足利病院)にて心臓弁膜症と診断され、継続的に内服治療を受けるようになったが、昭和六〇年夏ころから、労作(畑仕事)がほとんどできなくなり、昭和六一年一月には、心不全症状が出現し、それは自宅での内服治療にもかかわらず増悪していったため、スミエは、同年四月八日、足利医院からの紹介で安佐市民病院で受診した。当日は内服薬をもらっただけで帰宅したが、さらに状態が悪化し、呼吸困難が増強したので、同月一六日、スミエは、救急車で同病院に搬送され、そのまま同病院内科に入院した。

2  入院加療によってスミエの心不全症状は持ち直したが、同病院の二宮正則医師は、スミエに対する諸検査(スワンガンツカテーテルによる血行動態検査、心エコー検査等)の結果、スミエの病名が大動脈弁狭窄症兼閉鎖不全症及び僧帽弁不全症であって、手術の必要があると診断した。その結果、同医師は、スミエに対して、弁置換術を受けるのに適当な病院として、被告病院を紹介し、スミエは、同年五月二八日、被告病院に入院した。

3  被告病院では、望月医師がスミエの主治医となった。望月医師は、予め二宮医師からスミエが手術適応であると聞いていたが、スミエが持参した紹介状に記載されていた諸検査の結果を見たり、スミエから過去の病歴を聞いたりした結果、スミエについて、大動脈弁及び僧帽弁を人工弁で置換する手術を行う基本方針を固めた。望月医師は、スミエの肝機能、腎機能、肺機能が手術上問題がないかどうかを検査によってチェックした上、同年六月四日、スミエ及びその夫である原告今井末人に対して、手術前説明事項と題する書面の写しを交付して、これに記載されている事項を中心に、スミエの病名が大動脈弁狭窄兼閉鎖不全及び僧帽弁閉鎖不全であること、これら弁膜症は外科的療法の適応であり、内科的療法では心不全を繰り返すこと、手術は大動脈弁置換及び僧帽弁置換の基本方針であること、手術について、生命に直接関与する危険性が約一〇パーセントあることを説明するとともに、可能性のある合併症について、右書面に記載してある各項目を説明し、その際、空気栓塞に関しても脳神経障害の項目で、「心臓を開けるので、その中の空気を取るんだけれど、場合によっては幾分残っていたのがあって、それが頭の脳に飛んで行って、神経症状を呈することがある。」などと具体的に説明している。

スミエ及び原告今井末人は、望月医師の右説明に加えて、既に安佐市民病院に緊急入院したときのスミエの状態は生きるか死ぬか分からないような状態であったが、それを治療してくれた二宮医師からも手術を受けるよう勧められていたことから、長く生きられるということであれば手術を受けた方がよいと考えて、望月医師の執刀による手術を受けることを決め、手術承諾書にそれぞれ署名、捺印した。

4  本件手術は、翌五日に行われた。

スミエは、午前九時ころに手術室に搬入され、九時四六分ころ、望月医師が執刀を開始した。

開胸後、大動脈圧と左心室の圧較差が一一〇mmHgであることが測定され、手術前の所見のとおり、大動脈弁置換術の適応が確認された。

一〇時五〇分ころ、体外循環(右心房に帰ってきた血液を脱血カニューレを使って人工心肺に取り出し、人工心肺の回路を循環させた血液を送血カニューレを使って上行大動脈に戻す操作)を開始した。そして、心臓の動きを止めて、左房を切開し、僧帽弁のチェックを行った結果、一一時二分ころ、僧帽弁は温存することとし、大動脈弁置換術のみ実施することとした。

大動脈弁置換術自体は順調に行われ、一二時三〇分ころには、人工弁の縫着が終了し、三五分ころには、大動脈切開口が縫合閉鎖された。

そして、右切開口閉鎖部分の上(大動脈基部)に、空気栓塞を防止するための空気抜き口が設けられた。

一三時ころ、左心を圧迫して、大動脈基部の空気抜き口から左心内の空気を追い出すようにして、大動脈遮断(クランプ)を解除し、これによって心臓の筋肉に血液を流し始めて、心臓の細動を開始するとともに、復温を開始した。

このころには、いわゆる空気抜き体位(頭部低位、右側低位)を確保していた。

一三時一〇分ころ、左室内の空気を抜くこと及び左室に血液がたまって収縮力の回復の妨げにならないように左室内の血液を吸引することを意図して、左房切開口からベントカニューレを左室に挿入して吸引を開始し、心臓にカウンターショックを加えて拍動を開始させた。

このころまでに、大動脈基部の空気抜き口から二、三センチのところで、大動脈の上から二分の一ないし三分の二の部分を遮断し、右空気抜き口から空気が抜けやすいようにしていた。

このようにして心臓の収縮力の回復を待つ間に、左房切開口のベントカニューレ導出部に二―プロレンU字縫合を設置して、ベントカニューレを固定すると同時にそれを抜いた後直ちに抜去部を結紮できるようにした上、残りの左房切開創は縫合閉鎖した。

一三時三二分ころ、右肺静脈から左房圧(LAP)モニターラインを刺入固定した。このころには、心臓の収縮力の回復に合わせて、右心系から体外循環回路への脱血量を減じ、左房へ還流する血液量を徐々に増加させ、同時に、左室ベントカニューレからの吸引量を徐々に減じて、左房及び左室に血液を充満させていった。

そして、左室ベントを中止し、ベントカニューレを抜去し、抜去口をケリー鉗子によって拡げ、同時に麻酔医が肺を加圧して、そこから肺静脈内に残存していた可能性のある空気を圧出したあと、ケリー鉗子先端を抜去し、心嚢内に血液が充満した状態であらかじめ設置している二―〇プロレンU字縫合を結紮して、左房切開口を完全に閉鎖した。

一三時三五分ころ、血圧が80.50の数値を示し、十分に脈圧が出たので、望月医師は、左房心尖部に残っている可能性のある空気は、脈圧によって、大動脈基部の空気抜き口から圧出されたものと判断したが、さらに心臓をゆすったり、体位を変えたりして、残っている可能性のある空気が出やすいようにした上、遅くとも一三時四〇分までには、大動脈基部の空気抜き口を縫合閉鎖した。

大動脈基部の空気抜き口を閉鎖した直後、望月医師は、冠動脈に空気が走ったのを認めたので、まだどこかに抜けないで残っている空気があって、それが脳に行く危険性があると考え、麻酔医に対して注意を促した。すると、しばらくして(遅くとも一三時四〇分までに)、望月医師は、麻酔医から瞳孔に異常が認められる旨の報告を受けたので、脳に対する空気栓塞が発生したと考え、脳循環を良好に保つために、十分な流量と血圧を出して補助循環を行うことで対処した。

その結果、一四時三〇分ころには、瞳孔がほぼ正常に戻ったので、一四時五〇分ころ、補助循環を終了した。

5  スミエは、一七時三〇分ころ、手術室から搬出され、そのまま集中治療室に搬入された。

その後、望月医師は、原告今井末人に対して、手術終了時説明事項と題する書面に基づいて、スミエに対して施行した手術の内容について説明し、さらに、手術中空気が頭に飛んだと考えられる瞳孔の所見が一時的に存在したが短時間内に正常化した、通常ならば翌朝に麻酔から覚めるが、心配なのは脳の浮腫であるなどと話をした。

6  スミエは、麻酔による鎮静状態を続けていたが、翌六日午前七時四五分ころから、全身にけいれんが出るようになった。

望月医師は、午前八時ころ、原告今井末人に対して、今朝になっても麻酔は覚醒しない、この原因は昨日話した様に頭に空気が飛んだためと考えられる、頭に浮腫が生じてくるのでこれを最小限におさえるように治療する、順調に行っても快方に向うには五、六日かかり、その間は意識は回復しないだろうなどと説明した。

しかし、結局、スミエは、以後一度も意識を回復することのないまま、同月二七日、脳機能障害により死亡した。

以上の事実を認めることができる。

ところで、被告は、本件手術に関して、一三時三五分ころに脈圧が出た後も、三〇分程度は大動脈基部からの空気抜き操作(被告のいう第二段階の空気抜き操作)が行われた旨主張し、これに沿う証拠(証人望月(第二回))もあるが、右に認定したとおり、本件手術においては、遅くとも一三時四〇分までには大動脈基部の空気抜き口が閉鎖されたものと認めるのが相当である。その理由は、以下のとおりである。

第一に、望月医師自身、第一回の証人尋問の際、冠動脈に空気が走ったのを認めたのは、空気抜き口を閉鎖した直後である旨証言しているところ、〈書証番号略〉中の麻酔記録によると瞳孔の異常が認められたのは一三時三五分から四〇分の間であり、しかも、冠動脈に空気が走ったのを認めた望月医師が、麻酔医に対して注意を促したところ、その後に麻酔医から瞳孔の異常を報告されたという経過は証拠上明らかであるから、おそくとも一三時四〇分に麻酔医によって瞳孔の異常が報告された時点では、望月医師が空気抜き口を閉鎖していたことは明らかである。

そして、このことは、望月医師が本件手術直後に記載した〈書証番号略〉中の手術記録からも裏付けられる。すなわち、右手術記録には、「左心系エアを脈圧を出して除去。エア抜き口閉鎖」(22番)、「この時点で瞳孔両側とも散大」(23番)と記載されているところ、この記載の順序からも、やはり空気抜き口を閉鎖した後に瞳孔散大の所見が認められたと考えるのが自然である。

この点について、被告は、手術記録は、外科医が行う手技をまとめて書くものであって、時間を追って書くものではない旨主張する。〈書証番号略〉(広島大学医学部外科学第一講座主任教授松浦雄一郎作成の鑑定意見書)によれば、一般的に手術記録は時間軸にそって記載するものではないことが認められるが、本件では、「この時点で」という明らかに時間的関係を意識した記載がなされているのであるから、右認定の妨げにはならないというべきである。

また、被告は、前記手術記録の記載に「左心系エアを脈圧を出して除去」とあることと、麻酔記録上、一三時三五分に血圧(八〇・五〇)の記録があること(この数値は、空気抜きを開始する上で十分なものである。)から、脈圧を出して行う空気抜き操作(第二段階の空気抜き操作)が開始されたのは、一三時三五分ころからである旨主張している。

たしかに、本件手術において、脈圧を出して行う空気抜き操作が一三時三五分ころに開始された可能性は高い。しかし、このことから脈圧を出して行う大動脈基部の空気抜き口からの空気抜き操作が三〇分間程度続けられたということには直ちにはならないことはいうまでもない。

第二に、望月医師は、第一回の証人尋問の際、左房圧モニターラインの設置と大動脈基部の空気抜き口閉鎖の順序について、はじめ、空気抜き口の閉鎖が先であるかのような証言をして、次に、左房圧モニターラインの設置が先であると思うと証言し、また、第二回の証人尋問の際には、左房圧モニターラインを設置した時間と空気抜き口を閉鎖した時間とは、近似した時間であるとも証言しているところ、〈書証番号略〉中の看護婦が記載した手術経過記録によると、左房圧モニターラインを設置した時刻は、一三時三二分であることが認められるのであるから、この時刻に近接した時間帯に、空気抜き口が閉鎖されたと認めるのが自然である。

仮に、被告の主張するように、一三時三五分から三〇分程度は大動脈基部の空気抜き口からの空気抜き操作が続けられ、その後に右空気抜き口が閉鎖されたのであれば、望月医師が、右のように左房圧モニターラインの設置と空気抜き口閉鎖の順序について、あやふやな証言をするはずがない。

以上により、本件手術においては、遅くとも一三時四〇分までには大動脈基部の空気抜き口が閉鎖されたもの、そして、その後に冠動脈に空気が走るのを見、さらに麻酔医から瞳孔の散大を告げられたものと認めるのが相当であり、これに反する証人望月の証言(第二回)は採用できない。

なお、小柳鑑定や〈書証番号略〉の松浦雄一郎の鑑定意見書では、大動脈基部の空気抜き口からの空気抜き操作を数分間で行うことは不可能であるとされている。

しかし、麻酔医から瞳孔の散大を告げられたのが一三時四〇分の前(〈書証番号略〉の麻酔記録で瞳孔が散大したことが一三時三〇分から四五分のほぼ中間の時点に記載されている。原告らは、これを一三時三八分と読む。)であることは全く疑問を挟む余地のない事実であり、空気抜き口はその前に閉鎖されていたことも明らかであるから、右鑑定の結果等から、空気抜き口が閉鎖されたのが一三時四〇分を過ぎてからであり、被告の主張するように、望月医師が三〇分間は右空気抜き操作を行ったと認定することは困難であるといわざるをえない。

二  スミエの死因について

スミエの死が、本件手術中に発生した空気栓塞に起因する脳血行障害によって脳機能障害を起こしたことによるものであることは、当事者間に争いがない。

すなわち、被告は、原告らの「スミエは、手術中に惹起した空気栓塞により脳血行障害をおこし、そのために脳機能障害となり、死亡した」との主張(訴状「請求の原因」三3)に対し、「認める」と陳述している(答弁書「請求の原因に対する答弁」三)ところ、原告の右主張は、望月医師の行為(本件手術)とスミエの死亡という結果との因果関係に関する事実であり、この事実は本件訴訟における主要事実であると考えられるから、被告の右陳述により訴訟上の自白が成立している。そして、自白の撤回は、それが真実に反しかつ錯誤に基づいてなされたものであるなど特段の事情が認められない限り許されないと解すべきところ、被告は、この点について何ら主張、立証しない(単に否認に転じ、死因について他の可能性を指摘するだけである。)ので、本件において、右自白の撤回を認めることはできない。

なお、右自白の点を度外視しても、本件のような手術においては空気栓塞が発生しやすいものであり、望月医師も空気栓塞を疑ってスミエの治療に当たっていたものであり、また、スミエの脳機能障害が空気栓塞以外の原因によるものであることを認めることができる証拠はないのであるから、スミエの死の原因となった脳機能障害は、空気栓塞によるものと認定する他ない。

したがって、当裁判所は、スミエの死因が本件手術中に発生した空気栓塞によるものであることを前提に、以下、判断する。

三  手術適応について

原告らは、スミエは本件手術を受けなくても、内科的薬物療法で相当期間生存できたとして手術適応を否定する。

しかし、スミエの症状は前記認定したとおりであり、二宮医師の証言や、小柳鑑定のみならず、原告が本件訴訟で寄りどころとする医仁会武田総合病院心臓血管外科部長福増廣幸の鑑定意見書〈書証番号略〉でさえ、手術をしなければ二年程度の余命しかない等として手術適応を肯定するものであり、これに反し、スミエの手術適応を否定するに足る証拠は何ら存在しないのであるから、原告らの主張は理由がない。

四  説明義務違反について

また、原告らは、望月医師の説明義務違反を主張するが、望月医師が、事前に、空気栓塞の可能性をも含め、本件手術の必要性、危険性を説明したことは前認定のとおりであるから、この主張も理由がない。

五  空気抜き操作に関する過失の有無について

1  まず、原告らは、望月医師がベントカニューレを抜去るのが早すぎた点を指摘する。

前認定のとおり、望月医師がした空気抜き操作の手順は前認定のとおりであり、一三時三二分にベントカニューレを抜去している。

〈書証番号略〉(松浦鑑定意見書)によれば、大動脈遮断解除後、復温過程で左室ベントを施行する最大の目的は、左室の血液による充満を防ぎ、左心室に負荷を与えないことであり、基本的には、左室ベントの役割は、心拍動が強盛となった時点で終了するものであり、どの時点で左室ベントを中止し、ベントカニューレを抜去するかは、手術中に術者が判断することであるとし、本件では、心拍動が強盛となったことを確認してベントカニューレを抜去しており、問題はないとしている。

〈書証番号略〉(東京総合病院医師浅野献一の鑑定書)でも、ベントカニューレの抜去時期は手術中に術者が判断することであり、その時期が適切であったか否かの推察は避けたいとするが、これは右の松浦鑑定意見書と同趣旨のことをいうものと認められる。

また、小柳鑑定も、望月医師の措置は、現在多くの医師が用いる方法であり、問題はないとする。

なお、原告らは、ベントカニューレ抜去後、その開口部をケリー鉗子で広げ、同時に肺を加圧してそこから肺静脈内に残存していた空気を圧出しようとすると、空気が逆流混入する可能性がある旨主張するが、望月医師の証言(第二回)によっても右の措置は心嚢に溜まった血液の中で行われるものであるから、空気が混入する可能性はないことが認められる。

したがって、望月医師がベントカニューレを抜去した措置について何らの誤りもないといわざるをえない。

なお、〈書証番号略〉(福増廣幸の鑑定意見書)には、ベントカニューレを脈圧が認められる前に抜去した点を問題視しているが、前記松浦、浅野の各意見に照らし、これを補強する他の専門的意見、見解が存在しない以上、それをもって過失と判断することはできない。

2  大動脈基部の空気抜き口からの空気抜き操作について

原告らは、脈圧を出して行う大動脈基部の空気抜き口からの空気抜き操作は、心拍動が十分回復するまで、三〇分程度は続けられるのが通常であるにもかかわらず、本件手術の場合、望月医師は、これを一三時三五分ころからわずか数分間しか行わなかったから、右空気抜き操作が不十分であり、被告には右空気抜き口の閉鎖が早すぎた過失がある旨主張しているので、以下、検討する。

大動脈基部の空気抜き口からの空気抜き操作の時間としては、証人(鑑定人)小柳仁は、脈圧を出して行う大動脈基部の空気抜き口からの空気抜き操作にかける時間について、個々の症例によって差があり、執刀医のセンスにもよることであるから、一概に何分とは言えない、そして、同証人自身、五分くらいで右空気抜き口を閉じることもあれば何時間も右空気抜き操作を続けることもあると証言している。

しかし、他方、証拠(小柳鑑定、福増証言、田林証言)によれば、本件手術のように左心系に切開口を有する心臓手術の場合、それ以外の心臓手術の場合と比べて、空気栓塞が発生しやすいこと、したがって、空気抜き操作もより慎重かつ十分に行う必要があることが認められる。そして、脈圧を出して行う大動脈基部の空気抜き口からの空気抜き操作にかける時間としては、前記小柳証言の趣旨を尊重するとしても、三〇分程度は必要であると認めるのが相当である。なぜなら、このことについては、証人福増廣幸が、本件手術について、ベントカニューレを抜去してから、三〇分以上たたないと心臓の機能は十分回復しなかったと考えられるから、その時点まで大動脈基部の空気抜き口は開けておくべきであった旨証言しているのみならず、証人田林晄一(東北大学医学部胸部外科講師)も、一般的に心臓外科医は、脈圧が出てから約二〇分から三〇分程度、大動脈基部に設けた空気抜き口からの空気抜きを行う旨証言しているし、前記証人(鑑定人)小柳も、鑑定において本件手術における大動脈基部の空気抜き口の閉鎖時期を一四時すぎと認定した理由を説明する際に、脈圧が出たところから三〇分は空気抜き操作をやるというのが常識である旨証言しているからである。

そうであるとすると、本件手術の場合、脈圧が出始めたのが一三時三五分ころであるから、少なくとも一四時すぎころまでは、大動脈基部の空気抜き口を開けたままにしておいて、空気抜き操作を続けるべきであったと言わざるを得ない。それにもかかわらず、遅くとも一三時四〇分ころまでには、右空気抜き口を閉鎖してしまった望月医師には、右空気抜き口の閉鎖が早すぎた過失があるものと認めるのが相当である。

この点について、被告は、そもそも空気抜き操作で重要なのは脈圧が出てくる前の操作(第一段階の空気抜き操作)であり、脈圧が出てからの操作(第二段階の空気抜き操作)は最終的なものであって数分間行えば十分であるところ、望月医師は、一三時ころから一三時三五分ころにかけて、右第一段階の空気抜き操作を十分に行っているから、右第二段階の空気抜き操作を数分間しか行わなかったとしても、望月医師には過失はないと主張している。

しかし、前記福増、田林の各証言は、脈圧が出る前にも空気抜き操作を十分に行うことを前提に、脈圧が出てからも三〇分程度はさらに大動脈基部の空気抜き口からの空気抜きを続行すべきであるという趣旨に出たものであることは明らかであるから、被告の右主張は失当である。

六  被告の責任

以上によれば、本件手術において、望月医師には、前記のとおり、空気抜き操作を誤った過失があり、スミエは、これによって発生した空気栓塞による脳機能障害により死亡するに至ったものであるというべきところ、同医師は被告の被用者であるから、被告は、民法七一五条一項に基づいて、スミエの死亡により原告らの被った損害を賠償する責任がある。

七  原告らの損害

スミエは、空気抜き操作に誤りがなく、本件手術が成功していて空気栓塞を起こして死ぬことがなければ、相当期間生存し得ていたと認められる。

そして、六〇歳から六七歳まで八年間は就労可能であったと認められるところ、昭和六一年度の賃金センサスによれば、六〇歳女子の平均年収は二四一万〇八〇〇円であるところ、夫である原告今井末人は無職であり、スミエが農業等をしていたことに照らし、生活費控除率四〇パーセントとしてライプニッツ方式で逸失利益を算出すると、

241万0800円×(1−0.4)×6.4632=934万8889円となる。

慰謝料としては、原告のそれまでの症状、死亡時の年齢、医療事故の態様等を考慮すると六〇〇万円が相当である。

弁論の全趣旨によれば、これら合計一五三四万八八八九円を原告らが法定相続分で相続したことが認められる(原告今井末人二分の一、他の原告各八分の一)ので、原告今井末人の相続分は、七六七万四四四五円、その余の原告の相続分は各一九一万八六一一円となる。

また、弁論の全趣旨によれば、スミエの葬儀費用として原告今井末人が一〇〇万円を支出したことが認められるが、それは相当な額というべきである。

また、原告らが、本件訴訟事件を原告ら代理人弁護士に委任し、報酬の支払いを約したことが認められるが、本件医療事故と相当因果関係のある額としては、原告今井末人八〇万円、その余の原告各二〇万円と認めるのが相当である。

よって、原告らの本訴請求は、原告今井末人は九四七万四四四五円、その余の原告は各二一一万八六一一円並びにこれらに対する昭和六一年六月二七日から支払済みに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由がある。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判官佐藤修市)

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